<さまよえるウイグル ウルムチ騒乱から10年> (中)キルギス

tokyo-np, 10.07.2019

かつて気軽に行き来できた国境はほとんど閉ざされ、親類とはもう二年、連絡が取れない。中国新疆ウイグル自治区と接する、中央アジア・キルギスの首都ビシケクで暮らす在外ウイグル族のイスマイル・タイロフさん(45)は「祖国」の苦境に胸を詰まらせる。

自治区内では一九三三、四四年、トルコ系ウイグル族を主体とした「東トルキスタン・イスラム共和国」などが独立を宣言した。「四九年に人民解放軍に排除されるまでは、われわれには正式な政府があった」。タイロフさんは一帯を、中国が名付けた自治区ではなく「東トルキスタン」と呼ぶ。

中国の支配を逃れ、中央アジアに多くのウイグル族が避難。キルギスには公式に約五万~六万人、実際は十五万~二十万人が暮らすという。タイロフさんの両親も自治区第二の都市、カシュガルから移り住んだ。

キルギスで生まれ育ち、家庭を築き、住宅資材会社の経営も順調だ。しかし満たされない思いはくすぶる。「自分も子どもたちも戻るべき場所は、独立した東トルキスタンだ」

「東トルキスタン亡命政府」などの国際組織に参加。その活動で各国を訪れ、自治区の再教育施設で非人道的な扱いを受けた同胞の話に耳を疑った。オランダで会った男性は「一日中、同じ姿勢で左右を向くことさえ許されず、食事は日に一度、具のないまんじゅうと水だけだった」と語った。トルコに逃れた医師は、臓器売買のため同胞の内臓摘出手術を強いられた経験が忘れられず、罪の意識にさいなまれていた。

二〇〇九年七月五日のウルムチ騒乱以降、中国政府はウイグル分離独立運動に対し、テロリストや過激派とのレッテル貼りを加速。ビシケクでも一六年八月、中国大使館にウイグル系過激派が車で突っ込む自爆テロがあった。

タイロフさんはテロは決して肯定せず、合法的で民主的な手法を仲間に呼び掛ける。その上で「多くの人々は中国政府の挑発や抑圧に耐えかね、行動に出ている。それはテロとは違い、純粋な不満の表れだ」と言う。

豊かではない小国キルギスの経済は、中国からの投資への依存度が高まっている。経済大国になった中国に対しては、人権侵害があっても批判をはばかるムードが世界を覆う。「私たちの闘争が実を結ぶまで、長い時間がかかるだろう」。タイロフさんはそう認める。

しかし、理想の実現は、地道な訴えの先にしかない。「中国の人権侵害を実証し、運動を広げていく。米国や欧州、そして日本のような国が動いてくれれば、世界は変わる」と力を込めた。

◆暴動きょう10年 監視カメラ、検問所…漂う絶望感

3日、中国新疆ウイグル自治区南部のホータン地区で、商店街に掲げられた中国国旗=共同

当時、激しい衝突があった市中心部の大バザールでは四日、入り口で来場客の顔写真を一人ずつ撮影していた。警官や無数の監視カメラが配置され、緊張感が高まっていた。 【ウルムチ=共同】中国国旗がはためく街中で、おびえるように暮らす住民ら-。二〇〇九年に中国新疆ウイグル自治区のウルムチ市で起きたイスラム教徒の少数民族、ウイグル族の大規模暴動から五日で十年。習近平(しゅうきんぺい)指導部は抑圧統治を強め、「社会の安定」を維持。一方、弾圧を恐れるウイグル族の住民らには、絶望感が漂う。

南部ホータン地区でも、至る所に検問所。閉鎖されたモスク(イスラム教礼拝所)周囲の店舗には中国国旗が掲げられ、習氏のポスターも張られていた。「何もかもが変わった」。五十代のウイグル族男性は怒りに満ちた様子で、路上の監視カメラに目をやった。

<在外ウイグル人> 現在の中国新疆ウイグル自治区域に住んでいたウイグル族の一部は1949年の中華人民共和国の樹立以降、中央アジアなどに分散。米団体などによると、人口分布は中国1200万人をはじめ、カザフスタン26万人、キルギス5万5000人、ウズベキスタン5万人、アフガニスタン5000人、ロシア3700人、米国1000人など。在外ウイグル人らによる国際組織は複数存在し、分離・独立に向けた活動を続けている。