ウイグル絶望収容所で「死刑宣告」された兄を想う

Newsweek Japan, 16.11.2018

<収容者数100万人ともいわれる中国・新疆ウイグル自治区の強制収容所にはウイグル人の著名人や文化人も多数収監されている。その1人である新疆大学元学長の弟が語る、会えない兄への思い>

中国・新疆ウイグル自治区における共産党当局のウイグル人強制収容の事実が報じられるようになってから、もうすぐ2年。この間収容者の数は増え続け、今や100万人、あるいは100万人を超えているとも言われる。中でも際立っているのが、教育者や文化人、スポーツ選手など著名人の収監だ。さながら、ウイグルに対する文化的ジェノサイド(大量殺戮)の様相を呈している。

現在拘束されている中でも高位の人物の1人が、自治区最大の教育機関である新疆大学学長だったタシポラット・ティップ教授(60)だ。新疆大学を卒業後、日本に東京理科大学に留学して、理学博士号を取得。地理学と地質学の専門家で、世界的にも名を知られた学者だった。研究プロジェクトの成果から中国教育省に賞を与えられたこともあった。

プロパガンダ映像で「見せしめ」に

タシポラット氏は17年3月、北京の空港からドイツに向かう途中で中国当局に拘束された。アメリカの短波ラジオ放送「ラジオ・フリー・アジア(RFA)」によれば、タシポラット氏はいま、「国家分裂主義者」としてほかの教育関係者・作家らとともに収容所にいる。「共産党に反対するグループをつくり、地位を利用して分裂主義を実現しようとした」との「自らの罪」を認めるプロパガンダ映像素材となっており、その映像は自治区内の中学校で生徒と教師用に「教材」として使われているという。

タシポラット氏の弟であるヌーリ・ティップ氏(52)は今年10月5日、RFAの報道で兄が2年の執行猶予付き死刑判決を受けたと知った。

グルジャ市(伊寧市)で郵便局を勤めた父の下、5人きょうだいの一番下の弟に生まれたヌーリ氏にとって、タシポラット氏は背が高く、バレーボールが得意で学業も優秀な自慢の兄だった。タシポラット氏は体育専門学校に進まないかと誘われるほどバレーボールが優秀だったが、学問の道を選び新疆大学に進学。卒業後、新疆大学で教授を勤めた後、吉林省長春市の日本語学習機関で日本語を学び、東京理科大学大学院(修士・博士課程)へ留学した。

同じく新疆大学文学部を卒業したヌーリ氏は90年に兄の後を追って日本へ。当時、日本に暮らすウイグル人は数えるほどしかおらず、2人は助け合いながら異国の地で学生生活を送った。理系の兄は国費留学だったが、文学専攻の弟は私費留学だった。居酒屋でアルバイトをするつましい生活の中、兄とカラオケを歌いに行き、日本の歌で日本語を練習したのがヌーリ氏の東京の思い出だ。

「もう連絡はしない」

兄のタシポラット氏は93年に先に帰国し、ヌーリ氏は99年まで東京外国語大学や埼玉大学で学生生活を送った。しかし、97年に自治区グルジャ市で反政府デモと弾圧事件が発生。ヌーリ氏は中国に帰ることを諦め、日本で政治亡命を認められる見込みもないためアメリカに出国し、以後20年以上アメリカで生きてきた。現在はバージニア州に暮らし、建設業などで生計を立てながら、東トルキスタンの独立運動に関わっている。アメリカでは日本料理屋も経営し、知人たちは彼のことを「ヌーリ・寿司」と呼んでいる。

ウイグル人とはいえ、新疆大学の学長を務める兄は国外で独立運動に関わってきたヌーリ氏にとって「体制側」の人間だ。兄とあえて距離を置き、長年連絡も取らなかった。直接言葉を交わしたのは、01年にアメリカにやって来た時に少しだけ会ったのが最後だ。「兄の目で見たら私は分裂主義者だ」と、ヌーリ氏は言う。「我々は話し合った。私は帰らない。兄さんはウルムチで頑張って欲しい。もう連絡はしない、と」

それ以降17年間、あれだけ仲のよかった兄弟は、メールすら送り合わず、まったく連絡を取らなかった。4年ほど前、北京を訪れていた兄が共通の知人と酒を飲んでいたとき、その知人から中国ソーシャルメディアの微信(WeChat)で連絡が来たことがある。

「兄貴といま、話すか?」

知人からそう聞かれたヌーリ氏だが、電話で直接話すことはしなかった。中国当局に盗聴されていたら、兄に大きな迷惑がかかるのは目に見えていたからだ。

「じゃあ、兄さんは後で電話するって言っているから」

しかし、兄から電話がかかってくることはなかった。知人は「昨日は酔っぱらってしまったから(かけ忘れたんだろう)」と次の日、微信で釈明したが、ヌーリ氏は注意深い兄が電話をかけてこなかった理由がよくわかる。

特に最近、外国から新疆ウイグル自治区にかかってくる電話は中国当局によって盗聴されている。ウイグル人は、たとえそれが家族や知人からのものでも国際電話に敏感になっていて、海外にいる知人や家族に「電話をしてくるな」と伝えている。「スパイ」の疑いをかけられ、それを理由に拘束されかねないからだ。

「共産党員」でも容赦せず

自治区内と連絡が断絶し情報の入ってこないヌーリ氏が、兄の拘束直後の状況を聞いたのは17年の年末頃、海外にいるタシポラット氏の教え子からだった。

「ホテルに入れられ、尋問されている」。体制側の人間として生きてきた兄に罪があるはずはない、とヌーリ氏は考えていた。弟のヌーリ氏にすら定かではないが、ウイグル人が共産党に入党せず、新疆大学学長というポストに就くことはありえない。

しかし、現在の中国当局によるウイグル人の「知識人狩り」は、身内だった共産党員も容赦しない。「あらゆるウイグル人の知識人を拘束する今のやり方は、カンボジアのポル・ポト政権と同じだ」と、中国現代史研究者でウイグル問題に詳しい水谷尚子氏は言う。

タシポラット氏は10年に新疆大学の学長に就任した後、わずか10%ほどだった教職員のパソコン使用率を劇的に改善した。「ウイグル人と漢人が深刻に対立した09年のウルムチ事件のとき、事件現場に一番近かった新疆大学で、漢人の学生にもウイグル人の学生にも『民族対立はやめよう。暴力は解決手段ではない』と呼び掛けた人物として、タシポラット学長はよく知られている」と、水谷氏は言う。「温厚な先生で、どちらの学生にも冷静さを求めた。それが漢人の教員の恨みを買った、という情報もある」

日本で苦楽を共にし、仲もよかった兄に死刑判決が下されたと知った後、ヌーリ氏は20ポンド(約9キロ)もやせた。「何か物を食べようと口にすると、どうしても兄を思い出してしまう」からだ。執行猶予付き死刑判決は、執行猶予期間中に改悛すれば無期懲役や有期懲役に減刑される中国独自の司法制度だ。「死刑が実際に執行されるケースこそ少ないが、有期懲役の期間が引き延ばされることも多い」と、水谷氏は指摘する。

ここまで共産党が執拗にウイグル人を弾圧するのはなぜか。「一帯一路(戦略)を進めるうえで、ウイグル人が邪魔になっている」と、ヌーリ氏は言う。「兄のような知識人を一掃すれば、再び育てるまでに30年から40年はかかる。逆に言えば、ウイグルは30年間静かになる」

「日本の友人たち」への呼び掛け

国際世論の批判を受けても、中国共産党の弾圧は止まるどころか加速する様子を見せている。「ある地域で、弾圧対象者は数年前は1人だった。それが10人に増え、100人に増え、黙っているうちに今の状況になってしまった」と、ヌーリ氏は言う。

新疆大学文学部出身のヌーリ氏は、亡命ウイグル人たちの苦難を描く詩や小説を少しずつ書きためている。故郷に帰れない彼の今の夢は、グルジャに隣接するカザフスタンの街に行き、兄との少年時代の思い出がつまった故郷のにおいをかぐことだ。日本に来たのも、兄の面影を追っての渡航だった。

「日本の友人たちには、兄のことを忘れないで欲しい」。そう言って、ヌーリ氏は涙をこぼした。「兄のために私ができることはなんでしょうか」