【地球コラム】父親が「再教育キャンプ」収容? トルコ在住ウイグル人に衝撃

JIJI.COM, 01.03.2020

中国の新疆ウイグル自治区で多くのウイグル人が「テロ対策」を名目に拘束され、共産党への忠誠強化のために「再教育キャンプ」に送られるなど弾圧が指摘される問題で、トルコに暮らす約2万人のウイグル人の間でも大きな衝撃が走っている。ウルムチやカシュガルなど自治区内で暮らす家族や知人が音信不通になったケースは後を絶たず、過去にキャンプに収容された経験を語るウイグル人も出てきた。(時事通信社エルサレム特派員 吉岡良)

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1月下旬、イスタンブールの大学に通う同自治区出身の男性(26)が取材に応じ、自身の父親が行方不明になっている境遇について語った。男性はこれまで、中国当局の拘束下にあるとみられる父親に危害が加えられる恐れがあることから対外的な発信に消極的だったが、一向に事態が改善しないことを受け、重い口を開いた。

トルコで暮らす人々を含む在外ウイグル人の中では、自ら撮影した動画をインターネットに投稿して窮状を訴えたり、国際機関に嘆願書を出したりして真相究明を求める機運が高まっている。トルコは「テュルク系民族の同胞」であるウイグル人の人権を重視する姿勢で、エルドアン大統領は2019年7月に訪中した際、中国の習近平国家主席に同自治区の状況を懸念する立場を伝えたようだ。

◇前触れなく、突然途絶えた連絡

一問一答は以下の通り。

―お父さんの行方が分からなくなり、中国の「再教育キャンプ」に収容されている可能性が高いという話を聞きました。なぜそう考えているのですか。

父とは2018年6月までは連絡を取れました。私が間もなく卒業するところで、修士課程や博士課程など今後の勉強に関してやりとりをしていました。父から滞在許可証や卒業見込み証明書などの書類を求められ、全ての書類を送信したところで、急に連絡がなくなりました。とても心配になりました。

その時父は、新疆ウイグル自治区ではなく、中国の他の地域で仕事をしていました。だから、どこかに出張しているのか、あるいはスマホが壊れたのかとも思いました。1週間ほどたった後、イスタンブールに滞在中の友人から、父は連れ去られたと聞きました。この友人の親戚は父と同じ町に住んでいました。ただ、父がどこに連れ去られたか、その理由は何か、何も分かりませんでした。父は拘留され、刑務所や「再教育キャンプ」などの中にいるのではと疑いました。

最近、中国のSNSアプリでいとこの女性に連絡しました。いとこからは「彼は勉強している。彼は元気だ。心配しないで」という返事だけが来ました。この返事から、父が生きていること、そして、いわゆる「再教育キャンプ」に収容されていると受け止めました。ただ、父が実際に元気かどうか、確証は持てません。いとこが私を安心させるため、そう返事をした可能性もあります。

中国側の当局者はキャンプにいる全ての学生は卒業し、社会に送り返されたと主張しているものの、17年あるいは18年以降、こうしたキャンプにいるとみられる父やほかの親戚から、全く連絡がありません。どこにも姿がありません。

―お父さんが行方不明になる前、何か兆候はありましたか。

父は大学で国際貿易学を専攻し、卒業後は、約10年間公務員として働きました。その後、私のおじとともにビジネスを始めました。とても礼儀正しい人物です。中国の標準語や広東語を流ちょうに、英語を少し話せます。東南アジアの8カ国、台湾や香港などでもビジネスを行っていました。彼の生活は順調でした。父がどのような罪に問われたのか、全く心当たりがありません。父はきちんとしたイスラム教徒で、イスラム教の教えを折に触れて実践していました。居住先の都市のコミュニティーとの関係も非常にうまくいっていました。

◇父は「テロリストでない」

―中国政府は「再教育キャンプ」の目的について、テロを防ぐことだと説明しています。お父さんが何らかの形でテロとかかわりがあったと思いますか。

テロとは何か、定義する必要があるでしょう。宗教的信念の実践や、自分の子供によりよい教育のために留学を促すこと、海外で仕事をすることなどが「テロ」と定義されるなら、父は「テロリスト」かもしれません。ただ、彼が何か極端な思想を持っていたとか、私には考えられません。いつも私や妹の勉学を支援し、心を広く開いて人々に接する非常にフレンドリーな人でした。漢民族の友人もたくさんいました。拘留される前に、父の中国人の親友が亡くなり、彼はそれをとても悲しんでいて、葬式にも参列しました。ただ、テロを国際的に定義されているようなものと考えるなら、私の父は絶対にテロリストではないです。

―お父さんを収容施設から救う方法があると思いますか。この状況をどのように解決すべきですか。

海外に滞在中のウイグル人は、いろいろな方法で家族をいわゆる強制収容所や再教育キャンプから救おうとしています。例えば「家族と連絡を取れない」と訴えるビデオを作成し、インターネット上に投稿して発信する人もいます。国連や国際機関に家族の状況について訴える人もいます。地元政府との直談判に乗り出し、自分の父や母がどういうことになったのか聞く人もいます。

私は以前、警察署に連絡し、父に関する情報を求めたのですが、情報提供を拒否されました。ビデオ投稿や、国際機関への申し立てという手段を取ったことがありません。そういうことをすれば、かえって父の状況が悪くなると恐れているからです。他の学生や活動家はビデオでの発信や国際機関に助けを求めるという方法を促しています。ただ、こうした方法で父が1年か2年は救われるかもしれないものの、その後再び連絡がなくなり、私も中国に帰れなくなるでしょう。

ただ、果たして私は十分努力しているのかと自問し、自分を責めることもあります。今まで父のために特別の行動を取ったことがなく、周りの人に状況を伝えているだけで、父の状況を公にしたことはありません。このまま父が命を落としたり、苦しい状況に置かれたりするなら、私は自分を責めることになるでしょう。

―キャンプから出て、トルコに逃れた人もいると聞いています。この人たちはどのような方法で脱出できたのですか。

これは脱獄のような非合法的な方法を使ったということではなく、外交努力によるものです。逃れられた人々は、カザフスタンやトルコなどの国籍を持っています。こうした国々が中国政府に彼らを解放するよう要求すれば、彼らは解放されることもあります。または、カザフスタンなどに知り合いや親戚がいて、そのパスポートを取得して、逃れることができた人もいます。他国の国籍を持たない人にとってのがれることはほぼ無理です。

◇ウイグル人はトルコ人と同族

―ウイグル人にとってトルコは滞在しやすい場所ですか。

ウイグル人がトルコに来るのには、いくつか理由があると思います。中央アジアのテュルク系民族は、トルコの滞在許可を取得しやすいです。これはトルコ政府として、テュルク系民族を支援する方策なのでしょう。言語や文化などあらゆる面でトルコはウイグルに近く、例えば他の欧州の国々と比べると、ウイグル人はトルコでの生活により容易になじめるという面があるでしょう。

イスタンブールなどトルコに滞在しているウイグル人はたくさんいます。親戚の助けを借り、一緒にイスタンブールで暮らそうとするウイグル人もたくさんいると思います。そして、苦しい状況に陥ったウイグル人に対し、ウイグル・コミュニティーや民間団体から支援の手が差し伸べられます。

あと、トルコはほかの国と違い、ウイグル人の身柄を中国に引き渡したことがないと思います。これも主な理由の一つではないでしょうか。

―あなた自身は将来についてどう考えていますか。

実はトルコを離れるつもりでした。イスタンブールで大学を卒業した後、ロンドンの修士課程や米国の博士課程に進もうと思っていました。いくつかの大学からオファーを受け、いくらか奨学金なども得ましたが、同時に父の拘留の話が出てきました。私の状況は一変しました。

母と妹、おじの娘3人の世話をしなければならず、トルコに滞在し続けることにしました。現在、ある大学で国際関係・政治学部の博士課程に通っています。大学での研究を続けたいです。多分博士課程の後、ポスドクのためにどこかに行き、そこで暮らし始めるかもしれません。ただ、今後少なくとも2年、あるいは4年はトルコにいると思います。

その後のことは分かりません。中国のパスポートの有効期限も切れます。総領事館では通常、ウイグル人はパスポートの発給を受けることができません。パスポートの有効期限が切れたら、どこにも行けなくなり、非常に困ります。トルコに滞在許可があるものの、パスポートはないという状態になります。だから、将来については考えられないです。私にとって将来があるかどうかも分からないということです。

いつでも人生で大きな変更が生じる可能性があります。同じ質問を例えば2年前に聞かれたら、完全に違う将来プランを説明していたでしょう。素晴らしいキャリアや勉強プラン、それとも、バックパッカーとしての旅行プランについて話していたと思います。今の状態は全く違います。だから、将来があるかどうか分からず、行き詰まった状況にあります。

―初めてイスタンブールに来たのはいつでしたか。

私が初めてイスタンブールに来たのは2013年でした。大学で1年間トルコ語を学んでから、4年間学士課程に通いました。経済学部でした。ずっと貿易に興味があったのです。中国に帰って、(家族の)事業をさらに拡大していこうと考えていました。現在、別の大学で国際関係・政治学部の博士課程に通っています。

母と妹といとこたちは2015年に来ました。彼女たちはヒジャブを被っていたため、向こうの高校でいろいろ困難なことがありました。すべてのことが中国式に代わっていきました。父とおじは、彼女たちがトルコでなら自由にヒジャブを被って勉強できると考え、「わたしたちは君を経済的に支える。君が彼女たちを支えて」と私に伝え、彼女たちをトルコに送りました。当時はパスポートを取得することがとても簡単でした。われわれの家族は、彼女たちに自由で、プロパガンダのない教育を受けさせるよう努力しました。

◇自治区全域をハイテク監視の「研究室」に

―中国でのウイグル人に対する態度はいつごろ厳しくなったのでしょうか。

2016年ごろ、何かが変わったのです。16年に中国に戻り、実家に帰省しました。父と妹と私、3人で荷物を持って駅に向かっているところ、男らにひどい言い方で荷物を開けるよう言われました。荷物を開けたら、彼らが服などの中身を全て粗雑なやり方で取り出しました。父も私も沈黙したままでした。反対しても仕方がないと理解していました。彼らは5分ほど中を調べ、何も問題ないことを確認した後、一言も言わず、そのまま配置に就きました。私が散らかったものを片付けようとしても、彼らは手伝おうともしませんでした。その時はひどい屈辱を感じました。実はこの時、あらかじめ実家に帰ると伝えたら、父に反対されました。ただ、父の言うことを聞かず、妹と一緒に実家に帰省しました。

こういう経緯から、父に「ほら、これが自分の故郷で受ける扱いだ。君たちはトルコで比較的に自由な生活を送っているが、ここはすべてが変わった。ここにいるなら、こうした扱いを受ける」と言われました。

世界は21世紀です。SNS経由で、米国の友達にいつでも連絡でき、投稿した写真をアルゼンチンの友達が「いいね」できます。しかし、自分の家族や親友については何も分からないのです。これは私たちにとって、肉体的にも、心理的にも、経済的にも困難なことです。キャンプに収容されている人たちの状態を想像すらできないのです。

―中国政府のウイグル人に対する態度が厳しくなった理由は何だと思いますか。

いくつかの原因があると思います。中国は21世紀に入り、少数民族への同化政策を強化しました。彼らはウイグル語を学校や教育から排除したり、宗教的な活動を禁じたり、ウイグル人の出国を制限したりし始めました。ただ、この同化プロセスもうまくいかなかったのです。ウイグル人はウイグル語を家で学び、非常に強い絆を持つコミュニティーです。ウイグル人には長い歴史があります。文化があります。だから、中国政府はウイグル人を同化しようとしてもできなかったのです。

これとは別に、2013年に中国政府が始めたシルクロード経済圏構想「一帯一路」も影響していると思います。この構想には、新疆ウイグル自治区のウルムチやカシュガルが含まれ、中国政府は地域の「安定」を求めています。ここでの安定とはすなわち、政府の指示を疑問視する人がいないことや、共産主義以外のイデオロギーを拒否することです。この観点から、宗教的あるいは文化的な少数民族らはすべからく脅威と見られています。

中国政府はウイグル人を管理するため、新たな試みを始めました。新疆ウイグル自治区全域をハイテク監視体制が設置される研究室に変えてしまったのです。ウイグル人は国家への帰属を示すため、宗教的、文化的、民族的なアイデンティティーを捨て、中国共産党を称賛し、神格化するよう迫られます。

私たちの地域は中国全土の6分の1を占め、とても広いです。高い山や広い砂漠もたくさんあります。また、ロシア、中央アジア諸国やパキスタンなど8カ国と隣り合わせです。中央アジアや中東、欧州への交通路であるシルクロードは私たちの地域を通っており、新疆ウイグル自治区は非常に重要になります。

中国のウイグル人対策の背景には、こうした事情があるのかもしれません。一度中国人の政治家が、ウイグル人問題に関して「中国は新たなことを試している。これは私たちの世界をより良くする」と話していました。現在新疆ウイグル自治区で行われていることは近いうちに、世界の他の地域でも行われる可能性があります。中国はアフリカなどにあるいくつかの権威的な国にハイテク監視体制を輸出しています。中国は、人権や信教の自由など国際的価値、リベラルな秩序に挑戦しているのです。