「7.5ウルムチ大虐殺事件」直後の祖国訪問記(その1)

見せしめ脅迫(www.uygur.orgより転載)

見せしめ脅迫(www.uygur.orgより転載)

世界ウイグル会議へ
「ウイグルの母」ラビア・カーディルさんへ

以下は、私が「7.5ウルムチ大虐殺事件」直後の祖国訪問で自ら見てきた、そして、証言者たちから聞いてきた祖国の涙を簡単にまとめたレポートである。ご活用ください。レポートでは、証言者たち(家族、友人、知人など)を中国当局の報復・迫害から守るため、名前や勤務先などの明記は避けるしかなかった。しかし、必要な場合は、レポートに書いた内容(自分が見たことや、証言者たちから聞いたこと)について私自身が証言を行うことは可能である。(ただし、国内の家族や私に情報提供してくれた証言者たちの身の安全ため、私の身分が一般公開されないことが条件。)

1. 王楽泉の扇動と「7.7漢人暴動」について

7月7日未明にウルムチでテレビをつけた。テレビでは王楽泉のテレビ演説を流していた。王楽泉は手を激しく振りながら非常に怖い顔で「貴方たちは漢族を殺した。漢族も通りに出て貴方たちを殺したらどうするつもりだ?…」と話していた。私はこのテレビシーンを家族とともに自分の目で見た。王楽泉がその話を口にしたとたん、一緒にテレビを見ていた家族は「ほら、奴は通りに出てウイグル人を殺すよう漢人を扇動しているじゃいか」と口々に非難した。

7月7日の午後一時頃に、漢人らが暴動に出たとの情報を聞いた。ちょうどその時、兄が(車を勤務先の駐車場においておくために)車で勤務先に向かっていた。兄は勤務先に向かう途中で目の当たりにした状況を翌日に我々に話してくれた。

兄の話によると、車を出して公共バス10号線の終点のバス停付近に来た時に、2000人ほどの漢人集団が競馬場付近のウイグル人居住区方面に進んでいた。兄が直ちに方向を変えて児童師範学校の前の道に来たら、そこも漢人集団に溢れていた。不思議なのは、兄が目撃したこれらの漢人集団の中には黄色、赤、白の3種類の安全ヘルメットを被っていた人が大勢いた。兄によると、彼らが被っていた黄色と赤の安全ヘルメットは普段工事現場の人が被るものと同じもので、白の安全ヘルメットは普段警察の特殊部隊が被るものと全く同じものだったという。また、これらの漢人の多くが同じホワイトの下着(インナーシャツ)を着ていたという。当時兄が更に不思議に思ったのは、市内の至る所を車で巡回していた武装警察・兵士たちの姿が消えていたことだという。これらの状況から、私たちは当時通りに出た漢人集団の中に武装警察・兵士らもいたのではないかと推測した。

7月7日の午後三時頃に、2000人ほどの漢人集団がダワン付近に現れた。私を含む複数のウイグル人は彼らの行動をちょっと離れた場所から見つめていた。彼らの一部はたまたま通りに出ていた3~4人のウイグル人を襲撃しながら追いかけたまま別の分け道に入ってしまった。その時、警察車両で我々の近くやってきた二人のウイグル人警察官が「家に帰ってください」と説得した。我々は「暴動に走っているあの漢人集団に何も言わずに、なぜ我々を説得するのですか?」と問質したら、警察官は「我々も彼らに近づくことはできません。貴方がたが家に帰ったら彼らも自ら解散するから」と答えた。その間には、一人に電話が入った。それによると、100人ほどのウイグルの若者がラヘット公園側から我々の方面に向かっていたところ、武装警察が彼らに暴力を振り、追い散らしたという。

なお、7月8日に入ってきた複数の電話連絡から、7日には漢人集団の暴動があちらこちらで相次いだことが分かった。市内の有名なモスクであるナンズゴモスクやハンテングリモスクも漢人集団の暴動に遭った。しかし、政府は緊急修復作業を行い、8日にはモスクの被害に遭った部分の修復を完成させた。つまり、漢人暴動による被害の証拠を消すために慌てて修復作業を行ったわけである。

ある役所の庁級幹部が話してくれたことによると、7月6日に政府から如何なる役所や機関が「自衛」のために鉄棒や刃物などの道具を購入すればいいという内容の通知があったという。この話をしてくれた幹部の役所だけで三万元相当の道具を購入し職員に配ったという。7月7日と8日に各役所や機関の漢人らが暴動に出た際に、それらの道具を使用し多数のウイグル人の命を奪ったわけである。

2. 両親がともに拘束され保護者を失った86人の子供が孤児施設へ

7月9日に、ウルムチ市内のある孤児施設に勤務する親戚が次のようなことを話してくれた:

7月6日の夜に、競馬場付近のウイグル人居住区に住むウイグル人の家に警察が無差別で一軒一軒押し入り、男の人(大人と青少年)を一斉に拘束していった。これに反発したウイグル人女性たちが翌日(7日)の朝に抗議デモを行い、このデモが政府に案内されていた国際記者団と偶然ぶつかってしまい政府の夢を壊してしまった。記者団が現場を離れてから、この女性たち(デモ出た女性たち)が一斉に政府に拘束され、保護者を失った子供が多数出た。そこで政府は、両親がともに拘束され保護者を失った1歳から8歳の間の子供86人をウルムチ市内の孤児施設(この話をしてくれた親戚が勤務する施設)に入れてやったという。

3. 7月7日と8日に、一つの病院だけで97人のウイグル人が死亡

一人の友人が次のようなことを話してくれた:

ウルムチ市内のある病院で実習していた妹が7月9日に突然自宅に電話し、涙を流しながら「病院をやめる、もう耐えられない」と言ってきたという。家族がその理由を聞いたところ、7日と8日には怪我を負ったウイグル人(老人や女性を含む)100人以上が病院に運ばれてきたが、病院側が治療せずに放置したため既に97人が死亡したこと、これらの死体が病院の倉庫で山積みになっていることを伝え、「この病院を絶対にやめる」と泣いてしまったという。

4. 7月5日の無差別発砲で死傷した又はその後拘束された若者たちの運命について

(1)ウルムチ市内のある病院に勤務する友人が自ら目撃したことを話してくれた。それによると、7月5日に撃たれて怪我を負った多数のウイグル人が武装警察によってその病院(友人が勤務している病院)に運ばれて来たが、麻酔をかけることもないまま体の銃弾が取り出され、慌しい様子の武装警察にすぐに連行されてしまったという。また、運ばれてきたウイグル人のほとんどが高校生や大学生だったという。

(2)一人の親戚が7月7日に話してくれたことによると、7月5日の無差別発砲で死亡したウイグルの若者たちの死体が軍のトラックでテレビ局近くにある墓地に運ばれてきて、掘削機で掘られた大きな穴に埋められ、その場所の地面はセメントで固められ何もなかったようにされてしまったという。そして、当日から警察がその場所付近で警戒・監視を続けているという。この話をしてくれた親戚によると、このことを目撃した者がいるという。

(3)ある政府機関のウイグル人高官によると、7月5日に子供や家族が死亡した又は行方不明になったウイグル人の家は警察による24時間体制の監視下に置かれ、外部との接触は一切許されていない状況にあるという。彼らの電話も厳重な監視下にあるという。

(4)一人の友人のお母さんが次のようなことを話してくれた:

近所の人の娘が7月5日に店舗を閉めて自宅に帰ろうとしていたところ、武装警察がデモ隊に向けて無差別に発砲していた銃弾が偶然にも彼女の手に当たってしまい、重症した。彼女は家族によって第2病院に連れて行かれ、治療を受けた。しかし、翌日には「別の治療室で個別診断がある」と言って連れて行かれたまま姿を消した。家族は病院側と政府側に「自宅で連絡を待ってください」と言われ、自宅軟禁状態にあるという。

(5)ウルムチでは7月20日頃から見せしめ脅迫が行われている。つまり、拘束されたウイグルの若者たちが街中を引き回され、7月5日に犯した「犯罪」の詳細やその現場について「自白」している様子が警察の同行で撮影されている。街中を引き回され「罪を自白している」この若者たちには手錠と足かせがかけられている。私自身がこのような場面を街で4回も見た。このことは、特にウイグル人が多く住む商業学校付近や競馬場付近などで多く見受けられる。

5. 警察が話してくれたこと

(1)7月20日に、ウルムチで勤務する一人の警察官(私の友人)が次のようなことを話してくれた:

彼は、7月5日の事件後に始まったカメラ(街の監視カメラなどを含む)に写ってしまったウイグル人の一斉拘束が終了したこと、今度は電話で「いけない話」をしたウイグル人が捜査のターゲットになっていることを話してくれた。そして、「電話相手が誰であっても、とにかく言葉にだけは気をつけてください。今のこの状況では、貴方の身に何かが起こったら私も助けてやることは出来ません」と言った。私は「3~4000人ほどを拘束したのは本当なの?」と聞いたところ、彼は「それぐらいは拘束したが、一部を釈放した」と答えた。また、彼の話によると、拘束者の取調べに言葉の通じる警察が足りなかったためカシュガルから500人の警察を移動してきたという。

8月に入ってからアクス、グルジャ、サンジ出身の友達とウルムチで会った。彼らは、取調べのためと言ってそれらの地域からもウルムチに警察官が移動されていることを話してくれた。

ウルムチ市民(ウイグル人市民)の間でよく言われている話によると、「7.5ウルムチ事件」直後の時期には、拘束されたウイグルの若者たちに対する漢人武装警察による過酷な拷問に我慢できなかったウイグル人警察(取調べにかかわっていたウイグル人警察)の反発が相次ぎ、警察同士の衝突まで起きた。結局は、取調べにかかわっていた一部のウイグル人警察官が漢人武装警察の乱暴なやり方に怒って辞職を宣言し職場を離れるケースも出た。ウルムチ入りした周永康(中国共産党中央政治局常務委員、中央政治法律委員会書記)がこの件を知ってから、拘束者の取調べには武装警察が手を出さないこと、取調べを行なう警察が足りなかった場合は他の町から移動してくることを命じた。その結果、カシュガルなど各地からウイグル人警察がウルムチに移動させられたという。

(2)8月8日に、ウルムチ近くのある刑務所で取調べにかかわった一人の警察官(私の友人)が次のようなことを話してくれた:

彼が取り調べにかかわった刑務所に運ばれてきたウイグルの若者が200人ほどで、そのうち最年少は12歳だったという。刑務所では、彼らの服が回収され、下着の上にガーゼで出来ていた薄い服が配られたという。取調室に入って取り調べが始まるまでに意識を失ったり、死亡したりするケースもあり、刑務所に運ばれてきた最初の一週間だけで10数人がそのような形で死んでいったという。運ばれてくるまで、又は運ばれてきてから牢屋で受けた暴力が原因だったという。

ある日、この友人が当番で牢屋に行って見たところ、複数のウイグル人少年が「貴方がここを離れないでください。一人ぐらいウイグル人の警察がいないと漢人警察の暴力が酷くて耐えられません…」と必死で頼み込んだという。その後、刑務所のウイグル人警察官らが相談し、交代で必ず一人は牢屋の当番に回ることにし、漢人警察のみでの牢屋の当番を無くしたという。

6. 第2病院で起きた謎の出来事のついて

7月28日に、一人の知人がちょっと遠くから目撃してしまった次のようなことを話してくれた:

7月26日の深夜に、大勢の武装警察が第2病院を包囲し、厳重な警戒態勢の中で車3台で死体を持ち出したという。これらの死体がどこに運ばれ、どのように処理されたのかは謎のままという。

7. ウルムチで行われている家宅捜査、賠償金などについて

政府機関に勤務する複数の知人によると、ウルムチでは自宅でネットワークを使っていたウイグル人の家に警察が一軒一軒家宅捜査に入り、普段ネットワークをよく使う家族員を連行し、7月5日にデモ現場にいないことを証明するまで拘束しているという。

ウルムチでは、7月7日の漢人暴動で被害を受けた店舗などに対する賠償が行なわれているが、賠償金を受け取る条件は店主が必ず「私の店舗は7月5日の暴動で破壊された」と署名することとなっている。政府の要求とおりに署名し賠償金を受け取っている住民もいれば、政府の不当な要求を拒否し賠償金を辞退している住民もいるようだ。このことは、賠償金を受け取るために役所に行って、政府の不当な要求を拒否して帰ってきた一人の当事者が怒りをあらわにした口ぶりで私に話してくれた。

また、複数の知人によると、7月7日の漢人暴動で怪我を追ったウイグル人に対して、政府が補助するのは治療費と1000元の賠償金のみになっているという。(終わり)

2009年8月28日

http://www.rfa.org/uyghur/xewerler/tepsili_xewer/urumqi-toqunushida-korgenler-09082009204253.html
http://www.uyghurcongress.org/Uy/News.asp?ItemID=1252469862