ラビア・カーディル総裁の経歴

Rebiya-Kadeer-WUC-President

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ラビア・カーディルはウイグルの人々の著名な人権運動家及び指導者である。ラビア・カーディルは11人の子供の母親であり、一般の洗濯屋から億万長者にまで成長した元実業家でもある。彼女は、中国独裁政権に反対したことを理由に6年間投獄された。1999年に逮捕される以前は、彼女が有名なウイグル人女性実業家として知られていた。そして、中国十大富豪の七番目に並ぶ有名人だった。

ラビア・カーディルは一人の愛情深い母親、慈善家及び政治家である。彼女はかつて東トルキスタン(新彊ウイグル自治区としても知られている)の首都ウルムチで数百万ドルの資産を持つ商社とデパートを建設し、経営していた。ウイグルの子供たち、特に貧しい家庭の子供たちに教育を与えるために、彼女は自らか経営するデパートの敷地内に無料の学校を開いた。彼女は1997年12月に、ウイグル人女性たちにビジネスを起こす自信を持たせることを目的に「千人の母の運動」を始めた。彼女の博愛的な精神が中国政府に高く評価され、1992年に中国政治協商会議の委員に任命された。そして、1995年には、国連第4回目の婦女会議に中国代表として出席した。

最初は、ラビア・カーディルが望んだのは、行政(中国政府)との共同努力によりウイグル人の置かれている状況を改善することだった。彼女は、当時の中国国家主席を含む高級官僚たちに向かって大胆に演説をし、政府のウイグル人に対する強硬且つ弾圧的な政策の改善を促すことを試みた。1997年3月の全国人民政治協商会議の場で、彼女はウイグル人の十分な自治権及び人権を尊重し、それを守るよう中国政府に求めた。そして、一ヶ月前の1997年2月5日にグルジャ市で起きたウイグル人学生らによる平和的なデモを中国政府が残酷的に武力針圧したことを厳しく非難した。このことが理由で、北京のラビア・カーディルに対する 態度が変わった。

彼女への罰として、政治協商会議の委員資格が剥奪され、外国へ行くことが禁じられた。北京は更に、1996年にアメリカに亡命 していた夫のスデックハジ・ロズとの離婚を強要し、圧力を強めた。

1999年に、現地を訪問中のアメリカ議会代表団との会談に行く途中(路上)で彼女が逮捕され、所謂「国家機密窃盗罪」で懲役8 年間の実刑判決が言い渡された。

アムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウオッチなどの国際的組織の強烈な非難と釈放要求の結果、ラビア・カーディル事件が中国政府にとって国際的な場での困りものになってきた。2000年には、投獄中のラビア・カーディルがヒューマン・ライツ・ウオッチの最高人権賞を受賞した。2004年には、ノルウェーのラフト基金が彼女にラフト人権賞を贈った。その後、2005年3月17日に、アメリカ国務長官が北京を正式に訪問する三日前に、健康状態を理由に彼女が釈放された。

ラビア・カーディルは、釈放されたその日から積極的にウイグルの人権運動に取り込んだ。彼女は、2005年9月にワシントンで「ウイグル人権及び民主主義基金」を設立させた。2006年5月には、ワシントンにある「アメリカウイグル協会」の会長に任命された。そして、2006年11月には、ドイツ・ミュンヘンに本部を置く「世界ウイグル会議」の総裁に選ばれた。彼女は、2005-2006-2007-2008-2009-2010-2011年度のノーベル平和賞にもノミネートされた。中国政府が絶えずに彼女の平和的な人権運動に泥を塗り続けている中、彼女は依然として「ウイグルの母」、そしてウイグルの将来の有望な指導者として尊敬されている。

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