7.5ウルムチ大虐殺事件後に失踪させられた人々(その13)

RFA 2012.06.15 | 翻訳・掲載:2012.06.30

ナビジャン・エリ氏

ナビジャン・エリ氏

当時見せしめ脅迫の道具扱いにされたウイグル人拘束者の一人

当時見せしめ脅迫の道具扱いにされたウイグル人拘束者の一人

2009年7月5日のウルムチ事件後に、拘束されたウイグルの若者らの一部が手錠と足枷が掛けられた状態でウイグル人居住区に連れ出され、見せしめ脅迫の道具扱いされたとの情報がウイグル人社会で口コミ情報として流れていた。RFAが最近入手した情報によると、当時このような見せしめ脅迫の道具扱いされたウイグル人の一人は、ホータン地区カラカシ県出身のナビジャン・エリ氏である。彼の父親がRFAに明らかにした情報によると、息子を最後に見たのは2009年8月11日の見せしめ脅迫現場で、その日以来現在までに息子を見ることができず、更には息子の生死を含む一切の消息も入手できずにいると言う。

ナビジャン氏は、1992年にホータン地区カラカシ県で生まれた。2009年5月にウルムチ市内のドンコウルック(Dongkowruk、漢語表記:「二道橋」)で携帯電話の販売・修理店を開いた。父親がRFAに明らかにした情報によると、ナビジャン氏の店が地下にある店だったため、7月5日の抗議デモの初期段階では、店にいたナビジャン氏が外でデモが行われていることさえ知らなかった。その後、デモが衝突へと発展し、周辺のビル・店らが閉まり始めた際に、彼も店を閉めて外に出た。しかし、軍や警察隊によって道が封鎖されたため帰宅することができず、近くの料理店に身を寄せ一晩を過ごした。その翌日、周辺のウイグル人居住区を家宅捜査した警察隊がナビジャン氏の自宅にも立ち入り、家宅捜査を実施したが、事件との関与性を疑うようなことは何も見つからなかったため、彼を拘束せずに出て行った。

それから一ヶ月経った8月5日に、彼の店に警察隊が現れ、「ちょっとだけ聞きたいことがある」と言って彼を店から連行して行った。その日から六日間経った8月11日の朝10時に、ナビジャン氏ともう一人のウイグル人拘束者が軍や警察隊に囲まれ、手錠と足枷が掛けられた状態でドンコウルック及び競馬場付近のウイグル人居住区に連れ出され、見せしめ脅迫の道具扱いされた。

見せしめ脅迫当日(8月11日)、ナビジャン氏の父親と兄が、彼を乗せた軍車両を尾行し、当日の状況を自分の目で見たと言う。父親によると、当日は30人以上の軍人と10人ほどの警察に囲まれる中、息子のナビジャンともう一人のウイグル人拘束者を乗せた軍車両が道沿いの一部の店の前で止まったりしながらウイグル人居住区を走り回った。そして、毎回止まった際に、警察隊が2人を車両から降ろして、道沿いの店を指差ししながら質問したりした。警察隊の質問に対し、2人は首を縦か左右に振って応じるだけで、一切口を開いていなかったと言う。拷問手段により声を出すことができないようにされたのではないかと推測されている。

父親によると、8月11日の午後3時頃に、ナビジャン氏は6人のウイグル人拘束者と共に再度手錠と足枷が掛けられた状態でウイグル人居住区に連れ出され、見せしめ脅迫の道具扱いされた。父親と兄がバイクに乗って、息子らを乗せた軍車両を最後の最後まで尾行し、彼らが戻された刑務所の玄関前まで行った。彼らが入れられた刑務所はウルムチ県刑務所だった。父親が同刑務所側に対し、先ほど通りに連れ出され見せしめ脅迫の道具扱いされてから同刑務所へ戻された息子について問い質すと、刑務所側が平気でナビジャン氏の存在を否定し、更には、ウイグル人拘束者らを通りに連れ出して見せしめ脅迫を行ったこと自体も完全否定し、父親を強制的に追い返したと言う。

ナビジャン氏の父親がここ数年、息子の消息を捜して、カラカシ県、ホータン地区、ウルムチ市、そしてウイグル自治区の関係警察機関や政府機関らを何度も訪れたが、生死を含む一切の消息を入手できなかったと言う。彼の父親に対する警察当局からの最新の回答は、警察当局としてもナビジャン氏の消息について関係機関らに問い合わせしているとの回答だったと言う。この回答からは、ナビジャン氏が一般の警察ではなく特別警察隊の手で失踪してしまった可能性が浮上している。

http://www.rfa.org/uyghur/xewerler/tepsili_xewer/5-iyulda-ghayip-bolghanlar-06152012202017.html

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