7.5ウルムチ大虐殺事件後に失踪させられた人々(その2)

RFA 2012.05.08 | 翻訳・掲載:2012.05.09

アバホン・ソプル氏

アバホン・ソプル氏

RFAが入手した情報によると、7.5ウルムチ大虐殺事件後に失踪してしまったウイグル人の一人はアバホン・ソプル氏である。アバホン氏は、1976年にカシュガル市ドレットバグ郷で生まれた。彼は、カシュガル市ドレットバグ郷第16村第2グループの住民だった。4人の子供の父親であったアバホン氏は、2009年にはウルムチで果物の小売商売をやっていた。彼は、7月5日の抗議デモにも、その後の衝突にも参加していなかった。しかし、7月7日に武装警察が行った無差別拘束の際に、複数のウイグル人男性と共に警察に連行されたまま未だに一切の消息不明となっている。RFAの記者が、アバホン氏の妻レイハングリ・タヒルさんを取材し、彼が失踪した経緯や家族らによる捜索状況を聞くことができた。

レイハングリさんによると、7月5日にアバホン氏は抗議デモが行われた場所から相当離れたHualing商業区でいつも通り果物売りの商売をやっていて、夕方にはシハバ(ウルムチ市内の地名)にある自宅に無事戻ってきた。7月6日には、近辺の他の住民らと同じように外出を控え、7月7日に買い物のために外出した。

彼は、買い物に出かけたまま、午後8時頃に妻に電話してきた。電話では、買い物に行く途中で他の複数のウイグル人と一緒に警察隊に足止めされたこと、警察隊が彼らに対して周辺の道が全て封鎖されたことを通告し、自宅まで送ってやると言って彼らを車に乗せたこと、実際には自宅ではなく人民広場付近のShenming警察署に運ばれてきたことを伝えた。

妻のレイハングリさんによると、その時の電話ではアバホン氏に全く不安な様子もなく、暫くしたら自宅に戻れるから心配しないでくださいと妻に言っていた。しかし、夜の11時になっても彼が自宅に戻ってこなかったため、妻のレイハングリさんは彼に再度電話をかけた。ところが、その時には彼の電話が切れた状態になっていて、その後二度と繋がることはなかった。

アバホン氏と一緒に拘束された人々のうち、一部が約一カ月後に釈放された。その中には、アバホン氏とShenming警察署で一日だけ一緒だったこと、アイタンと言う名前のカザフ人警察が彼らの取り調べを担当したこと、同警察署にはウイグル人30人以上が運ばれてきた後、何台もの車に分けて乗せられ別々の拘置所へ送られたことを証言したものもいた。

この証言を基に、妻のレイハングリさんは同警察署のアイタンと言う名前のカザフ人警察を捜しに行った。カザフ人警察のアイタンは、レイハングリさんに対して、当時の取り調べではアバホン氏から特に疑わしいことが見つからなかったため釈放しょうとしたものの中国人(漢人)警察署長が許可しなかったこと、この件をめぐり警察官らの間でもお互い不満をぶつけ合う事態も起きたこと、結局はアバホン氏がDiantai刑務所に移送されたことを伝えた。

この情報を基に、妻のレイハングリさんは同刑務所へ行くと、刑務所側は彼がそこにいることを否定した。その後、レイハングリさんは、ウルムチ及びウルムチ近辺地域にある複数の刑務所を一軒一軒回り続けたが、彼の消息に関する一切の情報を入手することができなかった。レイハングリさんは、夫の両親と共に各階級の政府機関らに訴えを起こした。

しかし、どの政府機関にも相手にされることはなかった。そこで彼女は、自分と全く同じような運命を抱えている他のウイグル人ら7人と一緒に北京に行くと、ウイグルから派遣された40人の警察が北京に追いかけてきて全員を北京から強制連行した。更には、彼女が訴え続けるのを防ぐために、政府当局はレイハングリさんと4人の子供をウルムチからカシュガルに強制的に移住させた。レイハングリさんは、現地の政府当局に「何をするために北京に行った」と尋問された際に「私の夫が政府に消されてしまった。それを訴えに行った」とはっきりと答えたという。

http://www.rfa.org/uyghur/xewerler/tepsili_xewer/abaxun-sopur-05082012171117.html

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