7.5ウルムチ大虐殺事件後に失踪させられた人々(その1)

RFA 2012.05.07 | 翻訳・掲載:2012.05.08

イマムメメット・エリ氏

イマムメメット・エリ氏

連載「7.5ウルムチ大虐殺事件後に失踪させられた人々」の第一部では、失踪したウイグルの若者イマムメメット・エリ氏について報道する。

RFAが入手した情報によると、イマムメメット・エリ氏は、1985年にカシュガルのベシケリム村で生まれ、5歳の時に家族と共にウルムチに移住し、ウルムチで育った。2003年に、現地の名門高校であるウルムチ実験高等学校を卒業し、中国の名門大学に数えられる華南理工大学へ入学した。2008年に同大学を卒業し、ある国際貿易会社に就職しドバイで勤務した。2009年6月にウルムチに戻り、別の会社に就職した。7月5日に、自宅に戻る途中で、平和的な抗議デモへの参加呼びかけに心が打たれ、デモ隊に加わることにした。

彼の母親によると、当日、平和的に始まったデモが衝突へと変わった際に、イマムメメット氏がデモ隊から離れたが、道が軍や武装警察によって封鎖されたため自宅に戻ることができなかった。そして、母親の指示により、sanxihang(ウルムチ市内の地名)にある知り合いの家に泊まり、翌日の夕方に自宅に戻ってきた。7月14日に、イマムメメット氏が友人らと街を歩いている際に突然警察隊に包囲され、4人の友人と共に拘束された。彼の母親が、息子を拘束したLiudawan警察署に行くと、彼が早速米泉拘置所に移送されたことが知らされた。彼の母親であるパテグリさんは、米泉拘置所へ行くと、拘置所にはそのような人がいないと言われ、追い返された。

その後、彼と一緒に拘束された4人の友人が釈放された。そのうち一人が、米泉拘置所の広場での警察による写真撮影の際に彼を見たと証言した。しかし、この証言にも関わらず、拘置所側は彼がこの拘置所にいないとの主張を変えなかった。2010年4月11日に、同拘置所でイマムメメット氏と同じ部屋に入れられたラフマンジャンという人が釈放された。イマムメメット氏の二人の兄弟が、ラフマンジャンと面会し、事情を聞いた。

ラフマンジャンの証言によると、イマムメメット氏は最初の2回の取り調べからは無事戻ってきた。しかし、3回目の取り調べに連行されたまま三日後に、自力で立つことさえできない悲惨な姿で部屋に戻された。ラフマンジャンは更に、その日からイマムメメット氏が一週間にわたって何も食べれず体調が悪化し続けたため、自ら警察を呼び、「彼の状況が深刻で、治療させないでこのまま放置し続けたら死んでしまう」と警告したと証言している。ラフマンジャンの証言によると、その後、警察が彼を治療させると言って部屋から連行したが、二度と部屋に戻ることはなかった。彼が病院で死亡したのか、それとも別の拘置所に移送されたのかは、ラフマンジャンにも分からなかったという。その時から今までに、家族らがイマムメメット氏に関する一切の情報を入手できずにいるという。

http://www.rfa.org/uyghur/xewerler/tepsili_xewer/imam-memet-05072012173215.html

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