証言者たちが語る「7.5ウルムチ大虐殺事件」の真相(その2)

RFA 2009年7月24日
(7月5日の事件当時ウルムチにいて、その後トルコに出たウイグル人女性の証言)

記者(RFAの記者エリキン)7.5ウルムチ事件について自ら見たことなどを聞かせてもらえますか。

ウイグル人女性:私は当時ウルムチにいた。事件が起きた5日の夜、町中は大変騒がしく、絶えず爆音が響いていた。その後拳銃の音が続いていた。それで庭に出てみた。のぞいてみたら会社などの門はすでに閉ざされていた。町中から何かが壊された音や、けが人の叫びなどが聞こえた。銃の音がまた聞こえ、軍の姿が見えた。そのあたりにいたウイグル人を無差別攻撃した。これは私が自ら見た。

記者:何を見ましたか。

ウイグル人女性:私たちがいた住宅街の大門はすでに武装警察に閉ざされていたため外には出られませんでしたが、門の前で武装警察が多くのウイグル人を警棒などで殴ったり、地面に押しつけたり、連れていったのが見えた。その後どうしても外に出なくてはならない大事な用事があったので何とか街に出た。街の中で、血の痕、けがで倒れた人、ウイグル人の遺体などを目にした。

記者:武装警察が殴ったり、連れて行ったりしているのはウイグル人ですか。

ウイグル人女性:当然、それはウイグル人に決まっているじゃないですか。私たちの住宅街の門の中にいて、状況をのぞいていた子供たちでさえ「人を殺した、撃った」などと自らが目の当たりにした光景を話してくれたのだ。街の中に一つのトラックを見た。トラックは窓ガラスが壊されており、タイヤも空気が入っていない状態だった。トラックの後ろの部分にいたのはたくさんの遺体だった。

記者:あなたがみたその銃撃は何日間続いたのですか。

ウイグル人女性:私たちが入っていた住宅街当たりは夜10時当たりから沈み始めた。しかし、他の地区では翌日明るくなるまで続いたと聞いた。当日街中に残されたウイグル人はあちらこちらで大量の軍などに囲まれ、狭い道路などでみんな撃たれたりしたようだ。これは友人などから聞いたことだが、私は見なくとも、漢人の武装警察はそんな行動をすると想像は簡単にできる。翌日町を歩いてみると、まるで何もなかったような感じでした。血の痕なども全くなく、町はきれいに掃除されていた。

記者:事件当日やその後、テレビなどではどのような内容の放送だったのですか。何を感じましたか。

ウイグル人女性:事件当日は一切この事件について何も報道されなかった。翌々日になって報道した。この間はインターネット、携帯電話など一切遮断された。当時はとても怖かった。まるで武装警察がすぐにでも家に入ってきて、みんな引っ張って行かれそうな雰囲気で、ウルムチの町中は人々の鳴き声、警察車両の音などでいっぱいだった。絶えず爆音や銃の音が聞こえて眠ることはできなかった。

記者:中国政府が7.5ウルムチ事件で192人が死亡、千人以上が負傷したと報道したが、この報道をどう思いますか。

ウイグル人女性:真っ赤な嘘だ。実際死んだ人々は千人をはるかに上回る。死んだ人の中には女性、若者、幼い子供もたくさんいます。私はウルムチの病院に行った時、たくさんの負傷したウイグル人を見た。彼らは私に「お姉さん、たくさんの仲間が殺された。彼らの(武装警察)目的は私たちを完全に絶滅させることだ。」といった。おかしいのは、その辺にいた警察などは重傷のウイグル人を急いで治療させることなく、その場で彼らを撮影するなど、宣伝材料を集めるのに必死だった。それはなぜなのか知っていますか。この民族(漢族)には「思いやり」というものは全くないからだ。これらは私が自らの目で見たことなのです。

ある日、病院にいたあるウイグル人男性との会話の途中で「いつからこの病院にいるのですか」と聞いたところ、男性は「二日前から」と答えた。私は「なぜ帰れないですか」と聞いたら、「お姉さんとその娘が銃で撃たれた。彼女たちの命は今とても危険です」といった。「なぜ撃たれたのですか」と聞いたら、「ラビアビル(ラビア・カーディル貿易センター)に店を構えていた。事件が発生してから武装警察がやってきて店を閉めろと命令された。店を閉めて外に出たその瞬間、飛んできた銃弾に撃たれた。お姉さんの足に、娘の頭部に当たったのです」といった。

「撃ったのは警察服の人ですか、それとも私服の人ですか」と聞いたら、「警察には三つぐらいのタイプがいた。一部の銃撃現場には私服武装警察もいた。7.5事件から3日たった8日には、約300人の私服武装警察がウイグル人居住区にやってきた。当然ながら、その地区のウイグル人も命や財産を守るために懸命に対抗した。しばらくすると、今度は警察服を着た一部の警察が現場に来たが、彼らはずっとあの私服の武装グループを見守っていた。その現場で少なくとも5人のウイグル人若者が撃たれて倒れた。やがて彼らを車に積んで連れていった。これは私が自ら見たことなのです。なんという許し難い行為、非人間的な行動だ。後から聞いたら5人のうち三人は死んだそうだ。このような混乱の中で、乱射により撃たれた警察がいたほどだ。これも当然のように、ウイグル人のせいにするのさ。私が目撃したもうひとつの悲劇を言いますと、千人以上の手に鉄棒やこん棒、刃物を持っていた漢族の暴徒を町中で囲むことができた武装警察は、たくさんの人を殺したこのグループを拘束することなく、彼らの武器を押収することにとどまり、暴徒グループがその場で解散された。誰一人拘束されることはなかった」と語ってくれた。

記者:中国政府の報道官は記者会見で、「中国は法治国家である。法の前で国民はみんな平等である。ウルムチ事件に関わった人はみんな法によって罰する」と明確に言った。あなたはこれを信じますか。

ウイグル人女性:この私はそれに信じることができるのだろうか。絶対信じない。彼らは嘘つきだ。わが祖国も当時は彼らの嘘に騙されて侵略されたのだ。漢民族が人を殺しても彼らを罰さない。

ウルムチで漢民族が多く暮らしている地区には大体ウイグル人のパン屋さんがいる。日常だったらそのパン屋さんの前に連日のようにいつも列を並んで順番待ちする漢民族の姿を見ることができます。事件が発生してから多くの武装した漢民族が刃物などでそのウイグル人が経営する店を壊し、ウイグル人をみんな殺したのだ。考えてみてください。いつもその店のパンを食べてきた人たちが、パンを作ってくれた人を殺したのだ。祖国に彼らが侵略して来た時に彼らに対しウイグル人が寛容だった。今になっては彼らがウイグル人を残虐的に殺しているのだ。

私は多くの人たちに聞いてみた。家に帰る途中何を見たのかと。答えは一つ。「遺体」だった。翌日見たら町には血の痕すらなく、何もなかったように掃除されていた。

また、ウルムチの軍隊地区の中には「ドーラン」という名のウイグル料理レストランがあった。一部の武装グルーブがその店を壊し、店主のウイグル人を殺したと聞いたので、そのあたりを通った時にのぞいてみました。レストランは確かに壊されたままだった。

記者:あなたは今回の事件の原因は何だったと思いますか。

ウイグル人女性:ウイグルの資源などはみんな彼らに奪われ沿岸部に持っていかれて、本来その持ち主であったウイグル人には何も残っていない。1パーセントでもウイグル人が利用することは許されていない。ウイグル人には仕事もない。ウイグル人には生きていく道が極端に狭くなってきているのだ。それに、「集団就職」の名目でウイグル人若者たちが毎年大量に沿岸部に強制的に移送され、極端に安い賃金で働かせているのだ。こんな状況でウイグル人が立ち上がらないわけがない。

その沿岸部に強制移送された若いウイグル人は性的暴行を受けているのだ。私のお父さんは強制連行先の沿岸部から逃げてきたウイグル人何人かを世話し、仕事も紹介してあげた。これらは私が自ら見た、聞いた事実である。

いつも法律の前でみんな平等だと政府は言うのだ。現実はどうなのか。全く逆なのだ。私は自ら見たことを信じるのだ。ウルムチ事件の時に手に何も持たない学生たちなどが、平和的なデモであったのにもかかわらず無差別発砲を受け多くが死んだ。その後漢民族がいきなり暴動をおこし、一般のウイグル人を多く殺した。暴動をおこした漢人は誰ひとりも撃たれていなかったし、拘束すらされていなかったのだ。

武装した多くの漢族たちがウイグル人居住区にやってきた時に、後から軍がやってきた。軍の姿を見たウイグル人たちは「助かった」とすごく喜んでいた。助けてくれると信じていたのだ。しかし、軍が何をやったのかご存知ですか。漢族の暴徒たちから身を守ろうとしていたウイグル人を撃ったのだ。家まで追いかけて行って撃ったのだ。彼らが言っている平等とはこういう平等なのか。武装警察は武装した漢族をむしろ守ってやったのだ。

一番の悲劇は何だったのかご存知ですか。7.5ウルムチ事件でデモをやって正義を求め犠牲になったウイグルの人々を、洗脳されたウイグル人に批判させていることなのだ。国外に亡命し、ウイグル人の自由を獲得するために戦っている人たちを、「我々の平和を壊した」と洗脳されたウイグル人に批判させていることなのだ。

http://www.rfa.org/uyghur/xewerler/tepsili_xewer/urumqide-korgenlirim-07242009183104.html

【関連記事】

証言者たちが語る「7.5ウルムチ大虐殺事件」の真相(その1)